B108 飛ぶのか?それとも殴られるのか?

1989年9月21日(木)

今朝はいきなり400メートルのタイムを計った。そこそこだった。そのあとは12分間走もやったけれど、膝を痛めてからはかなりの期間走っていなかったので、3000メートルは超えなかった。そのあとは大した作業はなかった。

午後はニームまで行った。高速をニームの東で降りて、空軍の航空学校のある所まで行った。そこにはフィールドアスレチックの軍隊版があって、色々な障害物が5メートルから10メートルほどの高さに設置されている。水平に貼ったロープ渡り、これは3種類あって1本、並行に2本、Vの字に3本と言うのがあった。

Asperge

その他Asperge(アスペルジュ=アスパラガス)と呼ばれる、高さ5、6メートルの所から、1メーターちょっと離れた棒に飛び移るのがあった。下を見ると怖いので、棒だけを見て若干上気味に飛んで棒を掴んであとはスルスルと降りてくるだけのものがあった。マリファナの1等兵ベイカーが上に登って安全帯用のロープを自分のハーネスのカラビナにつけたまでは良かったのだけれど、彼は極度の高所恐怖症なので、なかなか棒に飛べないでいた。一緒に来ていた連隊運動部のいかつい巨体のランドー曹長が下から「さっさと飛べ!」と怒鳴るのだけれどベイカーは屁っ放り腰になって動けないでいた。震えているのが下からでも分かるぐらいであった。僕らも「aller ! BAKER」(行け!ベイカー!)と応援したけれどまだ飛べないでいた。業を煮やしたランドー曹長が悪態を吐きながらベイカーのいる所まで梯子を駆け上り始めた。僕らはベイカーがランドー曹長に捕まって酷い目に遭う前に飛ばせようと下から応援したのだが、ベイカーが飛ぶ前にランドー曹長の方が先にベイカーのいる所に到着してしまった。ランドー曹長は軽く片手でベイカーのことを押し出そうとしたけれど、ベイカーは両手で落下防止柵の鉄パイプを掴んで離さない。僕ならばランドー曹長の方が怖そうに見えるので飛んだかもしれないけれど、ベイカーはランドー曹長より飛ぶ方が怖かったのかガンとして跳ぼうとしなかった。ベイカーはべそをかいている。最後にランドー曹長が「もういい!」みたいな事を言ってベイカーを安心させベイカーの手が落下防止用の鉄パイプから手が離れたと見た瞬間、体当たりをして無理矢理ベイカーを飛ばせたのだ!ベイカーの方はと言うと、真下には何もない。いくら安全帯とロープで大丈夫と分かっていても怖くて声も出せなかったようだった。落ちるか棒に飛び移るかの究極の二択を迫られたベイカーは何とか棒にしがみついた。そしてソロソロと降りて来た。涙目であった・・・。10月に予定されているコマンド訓練は大丈夫なのか・・・。

この高さのある訓練はこの間のロープ降下訓練より怖いものもあったけれど、覚悟を決めてやると何とかなるものだ。まるで度胸試しであった。僕は高所恐怖症ではなかったけれど、高い所は人並みに怖いと思う。ただ、安全帯もあるし、他のみんなもやっている事なので、ただ「やるしかない!」と思っていて出来ただけだ。皆と同じ事を同じ風に出来ないようではいつ迄経っても一人前にはなれない。

 

これらの後は徒手格闘の訓練だった。相手も蹴りをどうやってかわすかなどをやった。やっている最中はなんともなかったけれど、連隊に戻ったら身体中が物凄く痛くて仕方がない!気合が入っているとなんともない。だけど、終わった後がこんなに痛いのは初めてだった。人のことを心配している場合ではない。コマンド訓練は3週間だった。この3週間毎日これかと思うとやはりとんでもない所に来てしまったのか?と思った。

最近伍長訓練コースを終えたばかりのドイツ人のベッカーという背の高い伍長が配属というか元々第1小隊だったので戻って来た。歳は結構行っている方で、中々うるさそうだった。

それから、ルスィック軍曹がいなくなったので、コマンド訓練中限定ということで、ドイツ人で連隊運動部のシュラバース軍曹が配置になった。僕の分隊長だ。ドジェイ軍曹の分隊ではなくて安堵したのを覚えている。

ベッカー伍長は足を捻挫しているので、代わりに管理小隊からスペイン人のロペス伍長が分隊に配置になった。

あの嫌だったハンセン伍長は連隊運動部へ配置換えになった。

 

読んでくれた人、ありがとう

 

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