B103 100歳の重機関銃

1989年9月4日(月)

 

連隊朝礼のあと、小隊はニームまで何かの訓練に行くという事だったけれど、僕は膝の怪我のため、中隊に残っていろと言われた。おかげで大した仕事はなくて済んだけれど、今日は夕食後に射撃が入っていたので、夜はゆっくり休めなさそうだ。

夕食後すぐに武器庫へ行きFA -MASを出してトラックで射撃場へ行った。200メートル、10発伏せ撃ちを2回やったけれど、1回目は3発しか標的に入らず中尉に睨まれた・・・。2回目はちゃんと9発標的に入ったのでどうにか叱られずに済んだ。

そのあとは25メートルに移動して、20発を腰だめの3点射だった。計7回引き金を引く計算になる。標的は1発でも当たると後ろに倒れる仕組みで、結果がすぐわかるようになっている。「射て!」の号令の後は自分のリズムで撃つ。僕は6回標的が倒れた。セルヴァン伍長と同じくこの日の小隊で1番だった。

 

今日は「拳銃」の射撃はなかった。既に20時を回っていた。

小隊に戻り武器の手入れをして武器庫へ持って行ったのは22時を過ぎていた・・・。

 

1989年9月5日(火)

 

4時起床。4台の「地雷探知機」を準備してトラックで出発。行き先不明・・・。どこだかわからない民間人の庭先で地雷探知機を組み立てて、庭のどこかにあるらしい金属の箱を探すという。憲兵隊も来ていた。探知機の感度を上げて探していると、つまらない金属片ばかりが出てきたので、感度を下げて、結局3時間以上探したけれど何も見つからず。しかしそこの土地の所有者や立ち合いの憲兵隊員は安堵してこやかな顔だったので何がなんだかわからない。

帰る途中、イタリア風のレストランでスパゲティと4分の1ほどのワインで食事を取って帰路についた。

小隊に着くとイタリア人のポッゾリが「なぁ、昼のパスタのせいで吐き気がするんだけれど、お前は大丈夫か?」と聞いてきたけれど、僕は何ともなくて、頭の中は早くも酒保のビールの事でいっぱいだった・・・。

 

1989年9月6日(水)

 

午前中は再び地雷についての復習だった。日曜日から演習に行くという事だった。

午後は水泳だった。ハンセン伍長は駆け足の時は僕に散々当たり散らすのに、水泳はほとんどダメだ。以前「俺はスポーティフだからな!」などと自慢していたけれど、50メートリも泳げないし潜水なんて以ての外であった。僕は小隊の中では一番泳ぎが得意だったので楽しくて仕方がなかった。

水泳の後は装甲車に装備されたりする「12,7ミリ重機関銃」の訓練だった。分解組み立てをやったのだが、部品数が多く、なかなか大変だったけれど、この機関銃はどこの部隊でも装備されているモノなので、必ず覚えなければならなかった。既に100年ぐらい前に設計されたのだけれど、今や世界中で使われている。日本の自衛隊でもだ。後何回かやれば分解・組み立てはちゃんと覚えられそうだった。しかし半端じゃ無い重さだ!射撃前の銃身の調整の仕方も覚えた。いつか射撃訓練でもあればいいなぁと思った。

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ブローニングM2重機関銃

 

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