B083 1989年7月17日(月)作業の能率など無いに等しい

4時45分起床。6時半に今夜の中隊長交代式典に使うテントを借りにニームの第2外人歩兵連隊まで行った。新兵訓練での相方だったソバージュに思いがけなく会った。偵察・支援中隊の迫撃砲小隊に配属になったと言う事だった。まぁどうにか上手くやっている様だった。奴が脱走するのはもう少し先の話だ。

昼前に、貼った切手が足りないと言う事で、連隊の郵便局へ行った。5フラン余計に請求されて合計18フラン20サンチームだった。まぁ、写真や絵葉書を入れたからしょうがないか・・・。

夜は中隊長の交代式典だった。夏のパレード用の制服に身を固め式典が始まった。今の中隊長は一度しか顔を合わせて無いので全く親近感がない。新しい中隊長はブレ大尉だった。背はそんなに高くなく老けているなぁと思ったけれどまだ30ちょっとらしい。交替式の最後は中隊歌を歌いながらの行進だ。それが終わるとFA -MASを1箇所に集めて置き来賓の人たちも含めて「Pot」(一杯、酒を飲む集まり)が始まった。僕は下っ端なので全くつまらないのだが、中隊長以下士官連中や下士官、他の中隊からの招待された士官・下士官連中は楽しそうだ。中隊長の奥さんであろう人に花束贈呈などもあって僕ら兵士の空腹をよそに「Pot」は続いた。23時ぐらいになってそろそろ終わりかなぁ?と思ったけれど、そこから中隊での食事であった。僕らの小隊はと言うと半分ぐらいが寝ている・・・。こう言う式次第がわかってくるのにそんなに時間は必要なかった。後に軍曹になった時は「あれ?もう終わりか?」と言うくらいになってしまう。

château de Lascours
ラスコー城

1989年7月18日(火)

朝食を取る暇もなく中隊前に車両が並び言われるままに装備品を積み込み何がなんだかわからない時間がすぎた。昼食前と午後一杯は再びラスコー城に駆り出されてまた舞台の観客席づくりの作業だった。フランス人は作業の効率を考えない。僕が「こうした方がいい」と言ってもキョトンとしてやって見せないと理解しないのだ。伍長からしてそうだった。容量が悪すぎるので頭が痛い・・・。

夜いきなり非常呼集がかかった。夕食後にそろそろシャワーでも浴びようかと言う所だった。フランス、特に南フランスはこの時期になると山火事が多い。今朝の車両の準備がその非常待機のためだったという事がやっとわかった。コロンビア人の一等兵カノ・シルヴァが教えてくれたところによると、その当番が中隊に回って来たのであった。各連隊の各中隊が持ち回りで非常待機に付くらしい。背嚢など色々とトラックに積んだ所で待機解除になった。なんだかんだで23時を回っていた・・・。

 

1989年7月19日(水)

今朝も10キロほどの駆け足だった。そのあとは「Mas de Lascours」(ラスコー城の別荘)と呼ばれる士官食堂がある所で死ぬほど沢山のテントを張った。明後日連隊長の交代式典がありその後の連隊の会食用のためだ。駆け足で疲れてしまって眠くてしょうがなかった・・・。17時前には終わったので夕食後は洗濯などをして過ごした。

1989年7月20日(木)

今朝は水泳だった。連隊ではプールを持っている。浅いところは1メートル20だが、深い所では3メートル15ある。訓練に使うからだ。水泳は駆け足と違って得意なのでなんという事はなかった。その後は午前中いっぱい連隊長の交替式のためのパレードの練習だった。明日は外人部隊指揮官の将軍も来る。

午後は全員アイロンがけの時間だったけれど、下っ端何人かは(もちろん僕も含めて)トラックに荷物を積む作業に駆り出された。一般の連隊でも雑用は多い。

夕食後になったがアイロンがけをした。軍曹の点検があるからだ。やり直しなんて馬鹿くさい。いつも通りにアイロンをかけて軍曹の点検を受けた。難なくパスした。そのあと少しビールが入ったので寝るにはちょうどいい。

 

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