B066 1989年6月7日(水)トルコ人と戦車

朝4時ごろ演習地らしい所に到着。6時過ぎに背嚢を背負い徒歩で移動。だだっ広い所に水の溜まった戦車壕があちこちに沢山あった。適当な所を見つけて待機という事だったので、ソバージュと一緒に水の少ない戦車壕を見つけてそこに入った。雨が降ったあとらしく泥だらけになった。曇っていてとても寒い・・・。

その時遠くの方に戦車が現れた。僕等第2分隊とは離れた所に陣取っていた第1分隊のトルコ人は89ミリ携帯ロケット砲を持っていた。彼の位置からは戦車がよく見えたらしい。何しろ草もほとんど生えていない平坦な地だ。戦車が横っ腹を見せたので、彼はロケット砲を抱えながら忍び足で戦車を狙い撃とうと近づいて行った。数歩進んだその時であった!戦車の砲塔がゆっくりと旋回し出して彼の方に向けて止まった。そして砲身がゆっくりと下がり明らかにトルコ人に狙いをつけているのが分かった。彼は戦車に視線を合わせながらその場にゆっくりとロケット砲を置きそしてゆっくりと両手を挙げ降伏したのであった・・・。戦車砲で兵一人を撃つのは忍びないと思ったのかどうかは分からないけれど、砲塔を元の位置に戻した戦車はゆっくりと去って行った。トルコ人は戦車が100メートル以上離れるまで両手を挙げて身動ぎひとつしないまんま立ち尽くしていたのであった・・・。それを間近に見ていたルアール伍長はこの間、除隊後に久しぶりに会った時のだけれど、30年前のその話を持ち出して来て二人で大笑いしたのだった・・・。

一日中特に何も無く、夕方になってやっと正規軍などと合流して整列をして演習参加部隊の編成完結式の様なものをやった。それが終わるとテント村になっている中隊の宿泊所まで行って荷物を下ろした。今日からまた簡易ベッド生活だ。

1989年6月8日(木)

              午前中はずっと89ミリ携帯ロケット砲と使い捨ての112ミリロケットRAC112(対戦車ロケット)Apilasの訓練だった。午後になんと外来部隊専用のシャワーに行く事が出来た。夕方に戦闘時の隊形の復習をした。

1989年6月9日(金)

              89ミリロケット砲の射撃。75メートル命中と日記にはある。午後は車両移動からの展開の仕方の訓練。

1989年6月10日(土)

              朝は駆け足だった。久々だったので少し大変だったけれど気持ちが良かった。着替え終わったら小包の引き換えの紙をもらった。日本からの小包だったので第4外人連隊にいるうちに届いて良かった。受け取りはカステルノダリーの連隊に戻ってからで今は受け取る事は出来ない。なので戻ってから開けるのが楽しみだ。

昼食後は新しい隊歌の練習をした。また2部に回された。ハモると中々良い具合だった。

              4時ごろ中隊でトラックに分乗して少し離れた原っぱに行った。暫くして2機のヘリがやって来た。フランス軍のヘリPuma(ピューマ)だった。100メートルぐらい離れたところで片膝をついて待機する。ヘリからの合図で駆け足で近づきヘリに乗る。FA -MASの銃口は下に向ける。何故かと言うとヘリコプターのエンジン他電気や機械系統は上部にあるので、不意の暴発でそれらが損傷しない様にするためであった。ヘリコプターへの乗降は自衛隊時代に経験済みなので何も問題は無かった。ヘリの機種が違っても大体の要領は同じだった。操縦手に見える様にヘリの前方から近づく。中隊は3カ所に分かれて計3回ほど乗降の訓練をした。終わったのは夜の7時ぐらいだった。日照時間が長くなって来ているのでそんなに暗くは無い。

夕食後21時に集合がかかり夜間のヘリの訓練が始まる。夜間のヘリの訓練は初めてだったので少し楽しみだった。

終わってテントに戻ったのは午前1時過ぎだった・・・。

                            読んでくれた人、ありがとう