B086 1989年7月27日(木)ml(ミリ・リッター)とcl(センチ・リッター)

昨日の夜の余ったビールが数本あった。飲め!と言われたので、何も疑問を抱く事なく朝にもかかわらず飲んで行軍に出発した。ドジェイ軍曹が先頭だった。物凄い速いペースだった。2回目の休憩を過ぎたあたりから付いて行けなくなり、一等兵のカノ・シルバや何人かに背嚢を引っ張られながら歩く始末だった。やっとの思いで連隊に着いた。小隊の部屋は3階なのだけれど、階段を登るのもキツかった。

午後は装甲車を洗う手伝いをした。カノ・シルバが運転する一台だった。今朝行軍の時に助けてもらったので、一生懸命に手伝った。

夕方家からの小包を受け取った。思っていたより色々なものが入っていた。気に入っていた曲の入っているカセットテープなどが入っていたので感激した。

 

 

1989年7月31日(月)

 

日記には10時ごろ出発。3時過ぎ昼食。給料。とある。何処に「出発」したのか???

この時期の給料は確か月2000フランぐらいだったはずだ。当時の日本円で約4万円だ。中隊の運動着のランニングやTシャツも買わなければならない。新品のケピもだ。その他には運動用のソックスや靴墨、日用品。2000フランはあっという間に無くなる。兵卒が外出なんかしているどころではないということは最初のアヴィニョンの外出で痛い程味わったので、大事に使わないとならない。夕方酒保に行く時は10フラン玉一つあればビールが4本飲めたので、10フラン玉一つとタバコだけ持って行くようになったのはこの頃だ。たまに一等兵や顔見知りになった上級伍長が奢ってくれたりしたけれど、それ以外はビール4本(250mlを4本)飲めば気分良くなれたので、週日は大体こんな感じで飲んでいた。ビールというか、飲み物の表記はフランスでは全て「cl(センチ・リットル)」という事も覚えた。ビールのグラスの飲み口あたりに白い線が入っていて、そこに「25cl」と書いてあるのに気がつく様になったのもこの頃だ。街中のカフェでも同様だ。ビールの泡はその線から上になるように出てくる事が殆どだ。

またコーラやオランジーナの缶の飲み物にも33clと表記がある。日本だと350mlだけれど、ここでは33clだった。最初「ゼロ」が一個足りないんじゃないかと不思議だったけれど、そういえば数学で習ったなぁと思い当たったのだった。

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最近の「ハイネケン」は、mlと cl 両方表記されている

 

 

1989年8月1日(火)

朝はサッカーであった。中尉やドジェイ軍曹は得意なので、ヘマをするとドジェイ軍曹の怒号が響く。コロンビア人のカノ・シルバなどはサッカーが上手い。僕はサッカーは得意ではない。「Deux pieds Gauche」(両方が左足)なのである。なのでドジェイ軍曹のチームにはなりたくないのだが、すでに「Deux pieds Gauche」というのは小隊では知れ渡っているので、中尉も自分のチームに僕を入れたくないのであった。だからチビで口うるさいドジェイ軍曹のチームにさせられるのだがほとんどボールが回ってこない。ただ走り回っているだけだった。僕のところに偶然でもボールが来ると大変であった。急いで味方の方に蹴るのであるが、僕の2本足は両方共利き足ではない「左」なので何処に行くか分からない・・・。だから僕がボールを蹴ると大顰蹙であった・・・。なので僕のいるチームは初めから戦力がマイナス1なのであった・・・。

ボールを使う競技はサッカーかバレーであった。けれども中尉やドジェイ軍曹はサッカーが得意なので、走らない日は僕はこのサッカーで随分苦しめられたのであった。ただ走り回っているだけだったけれど・・・。

 

明日から「CTE04」Certificat Technique Élémentaire 04 基本技術証明04という一段階上の工兵なら必ず取らなくてはならない訓練に送り込まれる事になった。

 

読んでくれた人、ありがとう

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