朝から戦闘訓練だった。16時少し前にテントに戻って来た。今夜も戦闘訓練という事なので、急いで背嚢など準備した。中隊規模なのか連隊規模なのかは判らない。20時過ぎ、トラックに乗り移動を開始した。どれぐらい走っただろうか???川縁に待機している連中に出会った。暗闇の中の移動浮橋が見えた。後に自分が配属になる第6外人工兵連隊の連中であった。彼らに手渡されたライフジャケットを言われた通り着てトラックの後から移動浮橋に乗り込む。低いモーター音が唸り移動浮橋は対岸へ移動を始めた。存在は知っていたけれど実際に乗り込むのは初めてだった。対岸に着きライフジャケットを脱いで第6外人工兵連隊の兵士に渡し、トラックに乗り込んで再び走り出した。午前1時ごろ小さな町の外れに止まって道端に降りて眠った。
1989年6月12日(月)
朝5時に移動を開始して7時に原っぱのそばに停止した。NBCスーツを着ているので、夜は寒く無かったけれど、だんだん日が出て来るにつれて暑くなって来た・・・。トラックを降りるとあちこちで手榴弾の爆発音が響き戦闘開始だ!すぐに「ガス!」の号令が響き、ガスマスク着用になった。歩くだけでものすごく息苦しい・・・。それが2時間ぐらい続いた・・・。たどり着いた先にはNBC専門の部隊が待機しており、除染するための野戦用除染システムが構築してあり、順番に進んでいってまず武器、装具を預け、NBCスーツを脱ぎ、戦闘服から半長靴、下着も脱いで、テントに入るとそこはシャワーであった。出て来る水はちゃんと暖かくてコンプ軍曹は声を上げて喜んでいた。僕もシャワーを浴びた。コンプ軍曹の気持ちが分かった瞬間だった。再び戦闘服を着て装具を付け宿営地へ戻った。夕方また何処かへ移動という事だった。昼食後は比較的ゆっくりだったけれど、背嚢は今夜も必要なので手付かずのままだった。
日没前に街中に止まりトラックを降りて展開した。すると街の人々が何事だといった感じで出て来た。日が沈むとまた別な街へ移動してそこでも展開した。もう0時過ぎなので街中には誰も居なかった。少しすると突然前方から敵の軽車両が走って来たので、前方警戒中の仲間が発砲した。誰も居ない夜の街の中に小銃の連射音が響き渡った。トラックの乗降の繰り返しと睡眠不足で動きが鈍くなって来た。実際の戦闘はこんな感じなのかなぁとぼんやりと考えたりした。
再び移動になって今度は町外れのY字路に展開した。側溝に降りて警戒態勢をとった。今夜はここを守るという事で交代でガードにつく。ソバージュは眠気、寒さ、空腹のどれかが当てはまるとどうしようもないグズになる。今夜の見張りも自分の番がきた時「目は覚めているから大丈夫!」と言っていたけれど、僕が下番して寝ると奴も同時に寝る・・・。
1989年6月13日(火)
5時に起こした時も中々寝袋から出ず僕は思いっきり蹴っ飛ばした。
フィジー人のマスワリとお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。キャンティーンカップを仕舞ってすぐに一台の装甲車がすごい勢いで近づいてきた。僕とマスワリ、ネイピエ、ソバージュ4人で手榴弾を投げ、FA -MASを撃ちまくった。停車した装甲車の車長の士官は僕らを発見出来なかったので操縦手に何か怒鳴っている様だった。
午前中にもう一回、午後に2回ほど似た様な戦闘があってやっと宿営地に出発した・・・。しかし3時間もトラックに乗っていて尻が痛い・・・。
読んでくれた人、ありがとう