B064 1989年6月1日(木) 連隊参加の長期演習

今夜、夜中の1時にここカステルノダリー から900キロ以上離れたムルムロン(Mourmelon)というフランス北部にある演習地に行くという事だった。移動には4日かかるという。演習の期間はわからなかった。朝から背嚢や衣嚢に服などを詰め込んで殆どロッカーが空になった。また、武器庫へ行ってFA -MASの他に89ミリ携帯ロケット砲、遠くでしか見た事が無いAA52軽機関銃、使い捨ての112ミリロケットRAC112(対戦車ロケット)Apilasの重量は同じだけれど訓練用模擬弾を中隊まで運んだり忙しかった。

午後は比較的暇だった。切手が無くなったので手紙を出すに出せない。

夕食後は酒保に行く事が出来た。だけど凄い人数の兵士で売り切ればかりであった。マルボロやキャメルは既に売り切れで無く、仕方がないのでWinstonの赤を10箱買った。

点呼の後シャワーを浴びて、戦闘服はベッドの脇に置いて寝た。

1989年6月2日(金)

起こされたのは何と朝の4時だった。車両のガード(不寝番)だと言う。昨夜ガードの連中は名前を呼ばれて僕は入ってなかったので安心していた。誰かがズルをしたのだ。しかし夜中の1時出発という話はどうなったのだろう・・・。 2時間のガードを終えて朝食に行った。小隊に戻るとこの間のテストの結果が張り出されていた。最初46人で始まったけれど、医務室送りになったり除隊した連中がいるので今は36人になっていた。その医務室送りになった連中は別の小隊に移動になって自分が1ヶ月しか訓練を受けていないなら1ヶ月終わった連中と、2ヶ月なら2ヶ月終わった連中の小隊に配属になり訓練を続けるのだ。

僕の成績は36人中19番であった。真ん中だ。1番はやっぱりネイピエ。2番は彼の相方ポルシャスだった。僕はフランス語が理解出来たならもっと良い成績だったかも知れず少し残念だった。

午後2時になってようやく出発した。分隊ごとに車両が与えられ僕らは背嚢と一緒に乗り込んだ。運転手はポルシャスな筈だったが、第1分隊のドイツ人のドレイヤーが運転する事になった。僕らの分隊長はドイツ人のコンプ軍曹なので、そのせいらしかった。乗った車輌はMarmon(マルモン)と言うフランス軍の中でスタンダードなトラックの一つだったがそろそろ退役してもいいだろうと言うぐらい古いものであった。「プスッ、プスッ、」と言うエアタンクの余剰空気を吐き出す音が特徴で、ハンドルを握る仕草をして2回「ンゴ〜(エンジン音)、プスッ、プスッ、」と口真似をすれば、「あぁ、マルモンの事を言っているのだな?」と当時のフランス軍の兵士ならわからない奴はいないと言った具合であった。正規軍ではとっくの昔に退役になった後でも外人部隊ではしばらくの間マルモンは現役であった。2007年に除隊する時でも連隊内で1台か2台走っていた様な気がする。ただ、連隊敷地内から出るのは禁止であった。

フランス軍ではトラックでの人員輸送の時には外側を向いて座れる様にするので自衛隊の内側に向かって座る仕様と違って変わった感じがしたのを覚えている。背もたれの部分に隙間がありそこに背嚢をしまった。

1時間ぐらい走ったところで何処かの訓練所に着きそこで夜中の12時まで待機をしてそれから夜中の移動という事だった。連隊中の車両の移動なので日中は渋滞を起こして無理なのだ。

23時に「ンゴ〜、プスッ、プスッ、」と音を発しながら出発した。ところが1時間も走らないうちにエンストして僕らのトラックだけ中隊の車列から取り残されてしまった。200メートルぐらい何度も押しがけをしたけれどエンジンはかからずだめだったのでトラックに乗ったまま寝る羽目になった。パーカーを着て足にポンチョを巻いたけれどとても寒かった・・・。

                            読んでくれた人、ありがとう

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