B062 1989年5月29日 (月)長距離行軍 最終日

最終日にも関わらずまたもやいきなりの山からだった。しかし、その山を超えたら平坦なところに出たので少し安心した。昨日までの疲れがなくなったわけでは無かったけれど、今朝は体の調子が良かった。楽な行軍では無かったけれど少し余裕があった。しばらく平坦な所を歩いてこれが最後だろうと思った丘を上った。しかし迎えのバスはいない。

下らなくてはならないのだ。それはそうだ。あれだけ上ったのだから。20分ぐらい下った所だった。遠くにバスが見えた!緑色の連隊のバスだ!

ソバージュは僕のすぐ前を歩いていたのだけれど、背嚢の重さで肩が痛くてどうしようも無いらしく、一歩歩くごとに呻き声を出していた。「donne-moi ton sac à dos !」(お前の背嚢をよこせ!)僕はバスまでまだ数キロメートルあったけれど奴の背嚢を僕の背嚢の上に乗せてやると言った。半ベソをかいているソバージュには聞こえない様だった。バスが見えた時点で僕に新たな力が湧いて来たのだった。

バスのそばにはトラックと給水タンクがあった。まだコンプ軍曹の背嚢を置け!の号令が無かったので、皆んな背嚢を背負ったまま給水タンクに群がって水を飲んだ。一段落して「sac à terre !」(背嚢を置け!)の指示がやっと出て休憩になった。水を飲みタバコを吸っていると、何だか呆気無く終わったなぁという感じであった。しかし終わったのだ。

この行軍は僕に自信を与えてくれた。フランス語はまだまだだけれど、それ以外は他の連中に負けないということが判ったからだった。これからの外人部隊の生活を大丈夫、やって行けるという自信を・・・。

長い休憩の後、トラックに背嚢を積みバスに乗ってレイサックに向かうのだ。戦闘行動の最終試験のためだった。

レイサックに着くと「バンカー」の丘の反対にあるもう少し高い丘の上に野営となった。時間があるのでテントも張った。明日はいよいよソバージュと二人での戦闘行動のテストだ。このテストはCTE-00「Certificat Technique Élémentaire 00」と言い、基本技術証明00という意味だ。00は兵科の種類で歩兵を意味する。01は騎兵、03が通信、04は工兵といった具合だ。歩兵は頭の中が空だから00(ゼロゼロ)とよく馬鹿にされたりしていた。また、歩兵の事をフランス語で「Biffin」(ビッファン)とも言う。なので工兵の連中は歩兵より頭が良いから(04、ゼロゼロではなく4という数字があるから)「Biffin Intelligent」(ビッファン・アンテリジャン=頭の良い歩兵)と言う。

外人部隊兵は全員このCTE-00の資格を持っている。それが終わって一般の連隊に配属された後、改めてCTE01なりCTE04なりを受けてその連隊の兵科の資格を取る。歩兵ならばそのままでいいかと言えばそうでは無く、武器などの別の講習を受け新たな資格を取らなければならない。歩兵の武器は多岐に渡るからだった。事務職はCTE -11という事務の資格がありその場合はまた第4外人連隊に戻って来て今度は専門職養成中隊に配属になりそこで資格を取る。

4日間もレーションだったので、いくら美味いと評判のフランス軍の携帯食料とはいえ飽きてきた。早く食堂で温かいものを食べたいものだ。テントを張って時間があったのでぼんやりしていたけれど、さすがに疲れた・・・。

1989年5月30日(火)

この日はフランス語のテストがあった。連隊には大学生らしいフランス語を教える人間がいて、住んでいる所の場所によってここで徴兵の期間過ごしている人間が何人かいた。どういう経緯でそうなっているのかは全く知らない。彼が絵の載っている本の中からいくつか指差しそれが何かフランス語で答えるのだった。彼も戦闘服にベレーだった。

時間の言い方も質問された。朝の9時45分の言い方はその通りに言う事も出来るけれど、その他に10時15分前と言えなければならなかった。また英語と同様15分は「Quart」(4分の1)の言い方を多く使うのでそれも言えなければならなかった。2分の1も同様であった。20人近い外国人がいるので待ち時間はタバコを吸ったりどこの連隊に行くかなどを話して過ごした。それと並行して外人部隊の部隊章の質問もあった。これは何処にある何と言う連隊か?と言った質問だった。何の兵科かも併せて聞かれた。マヨットの分遣隊とタヒチの連隊は出てこなかった・・・。

                            読んでくれた人、ありがとう

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