B061  1989年5月27日(土) 長距離行軍 2日目

やはり朝から上りばかりだった。幾つ山を登ったのか分からない。あまりの急な登りの所で右の腿がつりそうになった。昼前、ついに雲の中に突入した。標高2000メートル以上の山々が連なっている、ここはピレネー山脈なのだった。名前は知っていたけれど、まさか自分がその有名なピレネー山脈を歩く事になるとは思いもしなかった・・・。今歩いているところはある程度浸食が済んで丸みを帯びているけれど、遠くの方はまだそうでは無いらしく尖った岩がここからでも見えた。まだ雪をかぶっている。素晴らしい景色だった。ただ。そう思ったのは休憩の時の一瞬で、歩いている最中は足元を見ている余裕しか無かった。きつい上り道でも、ここを上れば下りになる。考える事は唯それだけであった。

たくさん上って少し下る。それの繰り返しだった。

どうにか今日も無事に野営地に着いた。きっと明日も同じだろう。何しろ周りは山しかない。でも負けはしない。何故なら皆んな頑張っているから・・・。

1989年5月28日(日)長距離行軍 3日目

              今日は下りが多かった。登り尽くしたのか???そのうちにアスファルトの道に出た。このまま今日は終わるのかな???と思っていたけれど、そんな事は絶対にない。ここは外人部隊なのだ。アスファルトといっても軽い昇降が多くてくたびれる。昼食は20分程で切り上げた。途中に墓地があり、衛生兵として同行している管理小隊のテシエ伍長がその墓地の入り口の方に向かって行った。彼は衛生兵として何回か訓練小隊の長距離行軍に同行しているので、コースを知っている様だった。彼の方を見ていたら、何と!その墓地の入り口には水道があるのだった!僕は他の連中と同じ様に腰に付けている水筒を取り出し残りを全部飲み干して水道から新しく水を満タンになるまで入れた。コンプ軍曹もそれは知っていたらしく、止まりはしなかったが歩くスピードを緩めた。皆が追いついたのを確認したコンプ軍曹は目の前に聳える山に向かっている。それを見た時は「マジか!畜生!」としか言いようが無かった。また上りだ!

上に登るにつれて段々急になり遂には這う様にして手をつきながら登らなくてはならなかった。頂上は見えない。所々の岩には横に白い線と赤い線がある。ハイキングコースらしい。民間のハイキングならいいけれど、こっちは背嚢にヘルメットをのせてFA -MASと装具を付けた軍隊仕様だ。上っている途中下の方にいるタボルダ軍曹の分隊の方から「ビトウが倒れた!」との叫び声が聞こえた。だけど僕の分隊はそのまま進んでいるので止まる訳にいかない。あとで「ビトウ」さんに聞いたところ、やはりあの這う様にして登るところがキツくて目の前が真っ暗になったという事だ。揺さぶられ、水を飲んで何とか立ち上がりついて行ったそうだ。

藪の道を少し上った所で平坦になった。向こう側の空の青も枝の緑の間から見えた。どうやら頂上らしい。藪の道を抜けたら今度は突然の下り道になった。急な登りの連続の後の下りは結構キツい。

1時間半ほど下って、急に開けた場所に出た。今日の野営地だった。すぐそばに川が流れていた。それを見た途端に疲れが飛んでいった様な気がした。ルアール伍長が各分隊に寝る場所の指示を出した。今夜の寝る場所に寝袋を敷き、そのあとは川で体を洗ってさっぱりした。何人かは足にマメが出来たのかテシエ伍長の手当てを受けていた。

明日15キロぐらい歩けばおしまいと誰かが言っていた。どっから出て来た情報なのかわからなかったので、当てにしないでおこうと思う。そしてレイサックへ戦闘訓練のテストなどをやるために向かう。もう今回の長距離行軍の山場は越えたはずだ。あとで思い出として懐かしく思い出す時があるかもしれないけれど、決して繰り返したくはないと思う事だろう。この時はそう思っていたけれど、数年後この長距離行軍をあと5回もやる事になるとは思いもしなかった。だがそれは新兵としてではなく伍長や軍曹になってからの事でそれはまた別の話だ。

一番凄いと思ったのはイギリス人のネイピエだった。彼は中尉の無線係で、TRPP13という重さ10キロもある無線機を背嚢に入れていた。相方のポルシャスがネイピエの荷物を少し自分の背嚢に入れて運んでいた。ただでさえ重い無線機と背嚢や装具、FA -MASを持って中尉と一緒に歩いていたのだ。さすが元SBSだと思った。

読んでくれた人、ありがとう

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