今朝は10キロほどの駆け足で始まった。フラダン中尉も駆け足が速い・・・。
昨日と同じ場所でまた何種類かの違う態形で爆破訓練をやった。16時ぐらいに終わって撤収した。戻る途中、正規軍の、あれは新兵訓練をやっている連中だろうか?旧式の小銃MAS -49をまだ使っていた。僕らはすぐFA -MASだったので、この連中はもしかして「徴兵」されて来た連中か???ただ、僕らの「ボーズ頭」と違い髪の毛が長くてなんだかだらしなく見えたのを覚えている。
僕らは食堂には隊列を組んで隊歌を歌いながら行進して行くのだが、そうすると「何事だ???」と言った感じで正規軍の連中は僕らを凝視する。ベレーの色も彼らの紺色とは違い外人部隊の色「緑」なので余計に目立つ。そんな時はなんだか誇らしく感じたものだった。
2日間の訓練も終わりまた高速道路を使って連隊に戻る。驚いたことに追い越して行く車の人々が僕らに向かって手を振ってくれるのだ。実に多くの人がそうやって笑顔で手を振ってくれるのには驚いた。トラックなどは追い越す時に警笛を鳴らしてくれたりして運転手が手を振ってくれる。一般市民の軍隊に対する考えが日本とは違うんだなぁと思った。
1989年8月9日(水)
午前中は8時から地雷の教育がビッチリ入っていた。僕は「CTE04」の前の「CP04」を少し前にやったばかりなので、さらに詳しく説明されたけれどちゃんと理解出来た。午後は演習用に作られている地雷で実際の敷設の仕方などを繰り返し訓練した。夕食後も授業があると言うことでみんな浮かない顔をしていた。21時ごろまでと言う事だったけれど20時過ぎぐらいに終わったので、ウェンダーと急いで(別に急ぐ必要はないのだが)酒保に行ってビールを飲んだ。
1989年8月10日(木)
駆け足で始まった。その後はすぐに教室で机に向かった。午前中は、各種武器の射撃壕の形や寸法を覚えた。そのほか、道路障害の種類と作り方、対戦車壕などもやった。すんなり頭に入ったのは、自衛隊でも勉強したおかげだった。やはり外人部隊に志願する前に自衛隊に行っておいて良かったと思った。もっとも「金(旅費)」がなかったせいもあるけれど・・・。
細かい部分は後で辞書で調べないといけなかったけれど、形や寸法などは軍隊にいれば常識でわかる寸法なので、あまり苦労はなかった。
午後の授業はアル中?のルスィック軍曹だった。彼は一つ一つちゃんと丁寧に説明してくれるので僕にとってはいい先生だった。ちびで煩いドジェイ軍曹とは違った。
夜は中隊のクラブのバーで飲んでいたらルスィック軍曹がやって来た。僕が以前「CP04」(専門実技検定)で1番になったと言う事は連隊長まで話が行ったと言う事を教えてくれた。フランス語を大して話せない外国人が1番になったからだ。そのほかに、狙撃手の訓練の話とか色々してくれて楽しい時間を過ごすことが出来た。彼がアル中だろうが関係ない。仕事をちゃんとしていれば外人部隊では問題ないのだった。
読んでくれた人、ありがとう