B049 1989年4月23日(日) 盗まれたベルト

今朝は日曜日なので起床は6時半であった。10時になると日曜日にも関わらずロサ・ファテラ上級軍曹のロッカーの点検が再びあった。昨日に比べて点検は少し静かに進んでいる様だったけれど、他の部屋では相変わらずロサ・ファテラ上級軍曹の台風の被害に遭った連中がかなりいたらしい。

点検の後は夜まで夏服にアイロンをかけた。医務室送りや中途除隊者が結構いて小隊は34人になっていた。しかしアイロンがたった3台しか無いので中々回って来なかった。

全員が早く終われば酒保へ行けたのだがそうも行かず今週末は酒保へは行けなさそうだった。タバコも切れかけているしMarsも買えなくて残念だった。

ロッカー点検の時、制服のベルトが無いのには気が付いていた。誰かに盗まれたのか??? 

何と相方のソバージュのロッカーに吊るしてあるのを発見した。ちょうど奴のロッカーが開いていた時発見したのだ。「なぜ俺のベルトがここにあるんだ???」と聞いたが知らないだの訳の分からない言い訳ばかりする。一言も謝ろうとしないのだ。まぁフランス人は謝らないというのを知るのはもっと後の話だけれど、流石に腹がたった。なので結構激しく殴った。大して信用はしていなかったけれど、曲りなりにも小隊で決められたペアなのだ。相棒と思っていろいろヘマばかりしているのに目を瞑って来た。何発殴ったか覚えていないけれど、部屋の仲間が間に入って止められた。リスターが「落ち着け!落ち着け!」と言ったのでそれで少し落ち着いて一切を水に流した。ただ「次やったらもっと酷い目に合わせるぞ!」と言うのは忘れなかった。その日以来新兵訓練が終わるまでやたら愛想が良かった。ちゃんとこっちの意思を伝えないと甘く見られる。なんだか嫌な様なそうで無い様な日になった・・・。

 

1989年4月24日(月)

連隊朝礼の後は、カメロン記念日が近いので、その一環のスポーツ大会が行われた。今朝は中隊長以下中尉や軍曹、伍長まで参加の中隊対抗の総勢30人リレーだ。普段怖そうな軍曹が一生懸命走っている顔を見ると何だか可笑しかった。

午後はフランス語と89ミリ携帯ロケットの復習だった。

 

1989年4月25日(火)

今朝は連隊での行進の練習があった。立って待っている時間が長いのでとても寒かった。それに加えて雨も少し降って来たので尚更寒かった。

その後はフランス語の授業だった。過去形や未来形が人称分あるので、覚えるのは大変だった。一応規則性があるのだが、一つの単語に対して6つもあるのでフランス語は頭が痛い・・・。

午後は、小隊の半分がNBCスーツ(対核・生物・化学兵器用の防護服)を着てどこかへ訓練に行った。

夕方また雨が降って来た中、近くまでテントの支柱や天幕を取りに行った。カメロン記念日用のテントだった。中隊あたり4〜5張あるので、全部のテントを張るのに2時間以上かかった。雨の中の作業で全身びしょびしょになった。それにそのテント張りのおかげで夕食が食べられなくてとんだ1日だった・・・。

 

1989年4月26日(水)クロスカントリー

今朝は僕等も走る羽目になった。どこの連隊でもやる「カメロンのクロスカントリー」だ。11Kmという噂だったけれど、ロサ・ファテラ上級軍曹の話だと9Kmという事だった。僕らを安心させる為に短めに言ってくれたのかな???

8時ごろ「シムカ社製」のトラックに分乗して連隊からちょっと離れた町まで行った。中隊ごとに色の違うT -シャツを着ているのでカラフルだ。連隊によって微妙に違いはあるが第4外人連隊では、青が第1中隊、赤が第2中隊、黄色が第3中隊、オレンジが管理中隊、緑が軍曹訓練コースなどがある管理者養成中隊、グレーが専門職養成中隊であった。

スタートラインに連隊長が来た。それを合図に号砲が鳴りスタートした。昨日と今朝の雨で泥濘を走る羽目になり200メートルも行かないうちにソックスも運動靴も泥だらけになった・・・。おまけに刺す様な冷たい風で、ゴールした後でも体は冷たいまんまだった・・・。

 

                                    読んでくれた人、ありがとう。