B050 1989年4月27日(木) 中隊での射撃

今日は中隊での射撃であった。以前行った事のあるカルカッソンヌの近くの山を登った所の射撃場まで行った。まず最初にライフルグレネード(小銃擲弾)を2発撃った。膝撃ちの姿勢だったのだが、反動が強いので、右利きの場合、左手で銃を支えるのではなく、左手は銃床の右肩に当たる部分を握って撃つ。1発目。ものすごい反動だ!おかげで後ろに転んで尻餅をついてしまった。そばで指示していた中尉とコンプ軍曹にゲラゲラ笑われてしまった・・・。

レーションの昼食をとり手榴弾を4回投げ、再びライフルグレネード(小銃擲弾)を撃った。夕方から雨が降って来てとても寒かった。

1989年4月28日(金)

午前中はまたテントを4張り建てた。連隊の敷地にある士官や下士官食堂があるお城の前の庭だった。

外人部隊ではお城や訓練に使う野外訓練所を所有している。決してフランス軍の所有では無い。なんでそんなにお金があるかと言うと、除隊した人達や外人部隊の支持者からの寄付があるからだった。そのお金は毎月集まっていて、年間かなりの額になる。おまけにワインも年間60万本生産しているのだ。ワイン用の葡萄畑ももちろん外人部隊の所有しているものだ。ビールのクローネンブルグの株主でもある。これはフランス版「フライデー」の様な雑誌の特集になった事も有る。「外人部隊の隠された財産」と言う記事だったが、別に隠している訳でも無く、クローネンブルグの株主と言う話は結構フランス人なら知っていた。外人部隊の酒保なり下士官クラブへ行けば、クローネンブルグのマークが入ったグラスには外人部隊の紋章や絵が入っている。コースターにも外人部隊の絵が入っている。

お城などは、結婚式などに貸し出したりしている。一度などは憲兵隊の大佐の息子の結婚式が開かれているのを見た事があった。士官や下士官食堂で給士をしているのは全員外人部隊兵だ。その辺のカフェに比べても遜色ないサービスの仕方だ。なので外人部隊以外の人がこのお城を借りて結婚式などを行うのはちょっとしたステータスなのかも知れない。

午後はなんとレイサックまで行軍という事だった。明日は駆け足で連隊に戻るという。行軍中休憩は一度しかなかった。

しかし見た事がある場所が見えて来ると、後どのくらいでレイサックに着くのかが分かるので気持ち的には楽だった。

1989年4月28日(金)中隊夕食会

レイサックに着くと「Pot」(一杯・酒などを飲む集まり)やバーベキューの準備がしてあった。

「Pot」は夜8時過ぎぐらいに始まった。まずカメロンの戦いのスライドフィルムを見た。音楽はフランス人の歌手で、Jean-Pax Méfret(ジャン・パックス・メフレ)が歌うその曲名も「カメロン」というものだった。後で教えてもらったのだが、彼は外人部隊だけでは無く色々な戦闘の物語を歌にして出しているという事だった。

今夜はカメロン記念日を祝う中隊での夕食会なのであった。スライドフィルムが終わった。「ル・ブダン」を歌い乾杯して夕食が始まった。ビールやワイン、たっぷりの肉や果物、チーズなどで皆ご機嫌だった。

外人部隊も悪くはないぞ!と思った日だった。

1989年4月29日(土)翌朝

中隊長を先頭にしてレイサックから25キロほどを連隊に向けて駆け足で出発した。僕はというと、昨日の行軍で両足にマメを作ってしまい真面に歩けなかったのでトラックに乗せられて連隊に戻った。これはちょっと情けなかった。

連隊に着いてからはこの間張ったテントの所へ行きテーブルや椅子を並べた。この場所はカメロン記念日の式典後の中隊の運営するバーという事であった。各中隊そういうテントがあり、来客が楽しめる様に軽食も出す。

椅子とテーブルを並べているときに具合が悪くなって来て、「部屋に戻って寝ていろ」とブロン伍長に言われたので部屋に戻って夕方まで横になっていた。

                            読んでくれた人、ありがとう。