B020 1989年2月13日(月)雑用から逃れて

昼の雑用からは逃れたけれども、夕食後の雑用に捕まってしまった。仕方がないので食器を洗っていると、先週肩章の色が「黄色」から「赤」に変わった奴が僕を食堂まで呼びに来た。付いて来いと言う。僕が「まだ皿洗いが終わってない」と言うと、奴は呆れた顔をして「そんなの放っておけよ!」という様な事をジェスチャー交じりで言った。

其奴に付いて宿舎に戻ると直ぐ地下の倉庫に連れて行かれ、「ほら、これに着替えろ!」と戦闘服を渡された。そして、履いてサイズを確かめろという様に半長靴がある方を指差す。相変わらず「黒」と「茶色」、左右で色違いの靴下だったがそっちへ行って何足か試していいサイズのを見つけた。そして「黄色」の肩章を付けた。「これで入隊に一歩近ずいた!」と思うと嬉しかった。

着替え終わると其奴に続いて一階に戻った。入り口のホールに行くと、そこには顔中髭だらけでいつもニコニコしている「黒いケピ」を被った上級伍長がいて、僕に向かって手招きをした。彼の前に行くと、彼はポケットをゴソゴソやって紙幣を取り出すと僕に手渡した。50フランであった。志願してから今までの給料なのかどうかは判らないけれど有り難く頂いた。僕の他に6人いた。リスターもその中に入っていた。二人で喜んだ。

(黒いケピを被った上級伍長=上級伍長になったばかりは白のケピで、帽子の飾りの顎紐の部分が金色になり一般部隊兵との違いを表す。勤続年数が長くなってくると黒いケピになる。だから黒ケピの上級伍長はいわゆる古株なのだ。)

僕らの世話をする殆どが上級伍長であったが、年配から若そうなのまでいて、いろいろな性格であった。のんびりとした上級伍長の時はよかったが、上級伍長になりたての「フランス人」の上級伍長は早口で厳しくうるさかった。

この当時は上級伍長から下士官である軍曹になるのは少ないケースであった。殆どが伍長の時に軍曹訓練コースに送られて下士官(軍曹)になり、頑張れば士官の道が開けてくる。反対に下士官にはなりたくない、そのまま部隊兵の生活がいいという人間は部隊兵の最上級である「上級伍長」で外人部隊生活を終えるというものであった。もちろん勤務態度が良くなければ万年伍長や万年1等兵という事になる。当時はそんなのがザラであった。伍長が軍曹訓練コースを終わった時点で軍曹の階級に昇進するまでの短い期間、一般の伍長と区別する意味で「上級伍長」になるという事が一時期あった。僕の時は軍曹訓練コース最終日に軍曹の階級章の付いた制服と黒のケピをもらい軍曹として連隊に戻った。ただ、軍曹としての給料は翌月からだった気がする。

最近夜になると志願者たち向けの「Foyer」(フォワイエ=酒保、ビールなど飲み物の他にタバコなどを販売する兵士用の売店)が開かれる様になっていた。僕とビトウさんは毎晩そこで「Panaché」(パナッシェ、ビールとレモネードを混ぜた飲み物)を飲むのがいつもだった。だがここで売っている「Panaché」は本物ではなくアルコール1%未満のソフトドリンクであった・・・。タバコの他にもチョコレートの「Mars」と「Bounty」も売っていた。

タバコは許されたがまだ入隊した本物の外人部隊兵ではないのでアルコールはご法度であった。酔っ払って問題を起こす奴が必ずいるからだ。なので当分の間はアルコール無しの生活を送る事になる。二人とも残念がった・・・。

                                          読んでくれた人、ありがとう。