B022 1989年2月16日(木)  「赤」の肩章

1989年2月16日(木)

「赤」の肩章の連中が頭のてっぺんから爪先までピカピカになって宿舎に戻ってきた。明日カステルノダリーの第4外人連隊に新兵訓練のために出発するのだ。と言う事は明日僕らが「赤」になると言う可能性がある。

みんなタバコが無くなってしまって一本を皆で回して吸っていた。遂にそれも無くなると、宿舎の周りのごみ拾いの時に「シケモク」を探すようになる。僕らは食事以外何も与えられず毎日ひもじい思いをしていた。

1989年2月17日(金)

朝食の時にはすでに「赤」肩章の連中はいなくなっていた。昨日までにだいぶ人数が増えた僕ら「黄色」の肩章のうち僕を含めて12人が「赤」の肩章になった。そして今までしていた「革製」の古いベルトから普通の「コットン製」のベルトに代わった。中には「運動着」からいきなり「赤」になった奴もいた。「ノジョン要塞」からの顔見知りだった連中が毎日いなくなっていった。ここまで一緒に過ごしてきてなんだか少し寂しいと思ったが反面仕方がないとも思った。入隊に関して何かしら問題があったのだろう。

「赤」になってからは、「黄色」の時より雑用も楽になった。そして今までのボサボサの髪から丸刈りにされた。これで少しは兵隊らしくなった。「赤」の連中だけ集めて外人部隊の色々な連隊について説明が行われた。

また、「外人部隊」で1番有名な隊歌 « Le Boudin »(ル・ブダン)を歌っている部隊兵のビデオを何度も観させられた。この歌は絶対1番最初に覚えないといけない歌だ。何かで集まった時、乾杯前や食事前には必ず歌う。歌詞はわからなかったが、メロディーは簡単ですぐに覚える事が出来た。

またある時は再び人事部の建物で、名前と認識番号がチョークで書いてある板を胸の前に掲げて身分証明書用に使うであろう写真も撮った。なんだか犯罪者にされたような感じであった。それが終わると、再びキムラさんの通訳で役職は分からなかったがCapitaine(キャピテン=大尉)と面接した。以前と同じような事を聞かれ、「外人部隊でやっていくには英語かフランス語をちゃんと話せる必要があるぞ?」と言われた。フランス語を話せないとダメな事は本で読んで知っていたので、「フランス語を頑張ります。」と言った。

1989年2月19日(日)

どういう訳か今日の昼食の時、僕ら「赤」には4人に1本のワインが出た。飲まない連中がいたのでその分を貰い、2杯か3杯飲む事が出来た。志願する前に宿泊していたホテルの脇のレストランで飲んで以来だったのですぐに酔いが廻った。

日曜で雑用が無かったので昼食後は宿舎の裏で天気が良くポカポカしていたのもありちょっと昼寝した。                                         

              読んでくれた人、ありがとう。