B025 1989年2月23日(木) 第4外人連隊へ

朝食の後、再び補給庫へ連れて行かれ、ベレーから半長靴まで全て新品の支給されたやつに着替えろと言われた。真新しいベレー、パリッとした新品の戦闘服、まだ硬い半長靴。しかし気分は良かった。外は曇っていて寒かったが、僕の気持ちは晴れていた。

残りの支給品が詰まったダッフルバッグを各自が持って宿舎に戻った。いよいよ明日カステルノダリーの第4外人連隊の新兵訓練へ送られるのだ。全部で12人だった。

1989年2月24日(金)

              朝早く起きて見慣れない軍曹と伍長についてバスでオバーニュの駅まで行った。暗くて寒い。列車が来るまでまだかなり時間があるらしかった。

余りにも寒くて足踏みする程だった。何人かがポケットに手を入れているのが見つかり、「à position !」(姿勢をとれ!)と伍長の号令ががかり連帯責任という事で、早速全員で腕立て伏せをさせられた。「en bas !(下!)」、「en haut !(上!)」、「en bas !(下!)」、「en haut !(上!)」・・・一頻り続いた。

やっと電車が来て乗り込んだ。発車すると、入隊出来た喜びと共に一体どんな事が待っているのだろうという不安で一杯だった。しかしこの時でも「何とかなるさ」という変な自信は持っていた。

              昼前にカステルノダリーの駅に着いた。急いで荷物と一緒に降りて、連隊のバスで第4外人連隊へ向かった。駅を出発して街を眺める事が出来たが、小さな田舎町といった感じであった。連隊が見えてきた。

広くて新しい建物ばかりであった。以前はカステルノダリーの中心部にあったのだが古くて手狭になり、街から少し離れたところに十分な広さの基地を作って移動したとの事だった。

バスは基地に入り反時計回りにぐるっと一周して門から見て左の第3中隊の建物の前で止まった。荷物を持って中隊の建物に入って1階の教室に入り荷物の確認をした後、二階の僕らの小隊の居住区へ行った。第2小隊という事であった。小隊長はズッカーフェルド中尉ということだ。ここの基地は80年台中頃に建てられたという事で、新しかった。しかし、部屋に入ってまず目についたのは、「ノジョン要塞」で見たあのお馴染みのベッドであった。一部屋につき2段ベッドが4つ、ロッカー8個。ベッドだけがやたらと古臭く感じた。それぞれの部屋は窓際でつながっていた。小さいがバルコニーもあった。洗面所が2づつあり、奥にシャワーが1つあった。

シャルトンというフランス人が2段ベッドの僕の上になった。彼とは「ノジョン要塞」から一緒で、フランス人にしては落ち着いていて親切だった。その日はロッカー整理だった。僕らを迎えにきた軍曹は別の小隊らしかったが、伍長は僕らの小隊だった。

伍長は僕の荷物を全部出してそれらを丁寧に畳んでロッカーに入れた。皆に見せる見本を作ったわけだ。なので僕はやる事が無かった。みんなそれぞれのロッカーの整理を始めた。僕は少し手直しをしているふりをしていた。しばらくするとまた僕の部屋に集合がかかり今度はベッドの作り方を僕のベッドで実演し始めた。彼は「ルアール伍長」といった。フランス人だけれど少し褐色で声が掠れていて、だけど筋肉質の体で運動抜群といった感じだった。自衛隊のベッドの作り方とほとんど一緒であった。違いは、自衛隊は毛布を4枚使うけれど、外人部隊では2枚しか使わない。

夕方、ポルトガル人の小隊次席下士官のロサ・ファテラ上級軍曹(Sergent-Chef)の点検があった。僕のロッカーを見て「Bien !」(よろしい!)と言って笑顔を向けてくれた。他の連中のロッカーは無言で見回っていた。でも僕にしてみれば当然だった。自衛隊でロッカーの整理の仕方は教え込まれている。第一僕らはまだ新兵で、ロッカーに入れる物だってそんなにある訳じゃない。

                            読んでくれた人、ありがとう。