B029 1989年3月3日(金)小隊にて その4 小隊の残り到着

今日は小隊の残りがオバーニュから来る日であった。昼前にやって来た。ビトウさんもいた。

小隊の廊下に整列して人数を数えた。なんと44人であった。小隊の廊下にほぼ一杯であった。

僕ら12人は今日来た連中にロッカーの整理の仕方などを教える事になった。彼らの多くはオバーニュにいる感覚で騒いだりふざけたりして僕ら12人はトバッチリを受けて何度も腕立て伏せをさせられた。

外国人とフランス人がペアになる様にリストが作られた様だ。廊下に張り出された。それを見るとアルファベット順で組まされている様だったが僕だけが違い、何と「ソバージュ」と一緒になった。後で聞いた所によると、ソバージュが伍長に「ノジョン要塞」から仲が良くてフランス語を教えていた、などと嘘八百を並べて僕と組む事になったと言う事だった。フランス語のさわりは教えてもらったけれど、仲が良かった訳では無い。

ビトウさんの相方は「ブディサ」と言うフランス人で、僕は後に曹長になって、個人で4ヶ月海外勤務に行く事になりノジョン要塞に宿泊した時、もう古株らしい顔をした上級伍長になっていたブディサに会って昔を懐かしんだものだった。

「L字」の同じ階の反対側の底辺の小隊に「タケシタ」君と「ナガオ」さんと言う2人の日本人がいた。彼らはすでに4ヶ月目で、もうすぐ始まる最終試験と、最後の長距離行軍を待っているところだと言う事であった。タケシタ君によると訓練自体は大したことは無く、でも「雑用」はいっぱいあるそうだ。最初の3週間は「Ferme」(フェルム)と呼ばれる農場のようなところにある施設での訓練という事だった。その最後に「Marche Képi-Blanc」(マルシェ・ケピ・ブラン)白いケピのための数日に渡る行軍があって、その行軍を歩き切って初めて外人部隊の制帽である「ケピ・ブラン」(白いケピ)をかぶる事が出来ると言う話であった。それで初めて志願兵ではなく正式な「外人部隊兵」となる。

ルアール伍長の計らいで、わざと「L字」の角部分にある両方の小隊で使う共同の「トイレ掃除」に回されて、日本人同士で話をする事が出来たのだ。後に知る事になるのだが、ルアール伍長は何故か日本人の僕とビトウさんにやたら親切であった。その訳は、ルアール伍長、新兵訓練の成績優秀でそのまま小隊に残って見習い伍長をやってすぐ伍長になったのだが、その新兵訓練の時の相方が日本人の「カトウ」さんだからであった。因みにカトウさんも成績優秀でルアール伍長と一緒に伍長になって第2中隊で新兵を教えていると言う事であった。

僕ら第2小隊は、小隊長ズッカーフェルド中尉、次席指揮官はロサ・ファテラ上級軍曹、分隊長は第1分隊タボルダ軍曹、第2分隊はコンプ軍曹であった。タボルダ軍曹の国籍は思い出せない。

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