B052 1989年5月4日(木)初めての「衛兵勤務」

  今日は初めての「衛兵勤務」だった。衛兵長はコンプ軍曹、その下にルアール伍長と僕ら6人。僕は自分の相方ソバージュと2時間交代の勤務についた。ソバージュが営門の遮断機を通過する車両のために上げ下げした。僕はFA-MASを持って、下士官が通る時は「気を付け」をし、士官が通る時は「捧げ銃」をルアール伍長の号令でした。衛兵勤務は式典用服装なので、たとえ休憩で衛兵詰所の中にいても寛ぐことは出来なかった。背もたれ無しの腰掛け椅子があったけれど、ズボンがシワにならない様に脚を伸ばして尻をほんの少し乗せるだけしか出来ずなかなか大変であった。しかし一応コーヒーもあり(ルアール伍長のポケットマネーであった)タバコも吸うことが出来たのでそれは救いだった。

1989年5月5日(金)「パルクール・ド・コンバッタン」

              午前中はビュルネルへ行って「パルクール・ド・コンバッタン」(障害走)の訓練だった。全ての障害の超え方は習ったのであとはどれぐらい早く完走出来るかだった。けれど、僕は持久力がないらしく半分も行くと足が進まなくなるのであった・・・。なので、後半最後の山場の壁超えとすぐ後に続く対戦車壕はもうヘロヘロであった。

午後はなんとバスに乗せられた。行き先はレイサックということだった。FA-MAS も背嚢もない。どういう事だ???と思っている内にレイサックへ着いた。なんと今日は他の小隊が「ケピ・ブラン」の行軍を終えて無事に外人部隊兵になれたと言う事の「Pot」(一杯・酒を飲む集まり)に僕らの小隊が招待されたのだった。「よく頑張ったな!」などと偉そうな事を考えていたが僕だってほんの1ヶ月ちょっと前までは彼らと同じだったのだ。

1989年5月6日(土)体力検定

              今朝は体力検定があった。腕立て伏せ、懸垂、ロープ登り、腹筋などだ。右胸の調子がまだ良くなかったので、腕立て伏せをしている時、20回を数えた所でブロン伍長が「止めろ」と言ったのでそれまでだった。腹筋は前回より出来た。今日自分の腕をよくよく見てみたら少し太くなって来ている。まぁ、自発的ではないにしろ毎日腕立て伏せをしているからかな???

今月から3ヶ月目に入るのでロッカーの点検があった。ロサ・ファテラ上級軍曹が各部屋を見て回っている。

今日のロサ・ファテラ上級軍曹は機嫌がいいみたいでニコニコしていて皆何も言われなかった。

土曜日で酒保に行ける筈だったが、下士官の集まりが行われていると言う事で行くことが出来なかった・・・。

日用品などを買いに行けないのでこれは問題だ・・・。

昨日、一昨日と夏の様な暑さで、先週のカメロン記念日の準備の時の寒さはもう無い。最近は夜9時半ぐらいまで外が明るい。夏になったら日没の頃にベッドに入るのかな???この頃は夏時間という概念はまだ持っていなかったので変な気がしたのを覚えている。けれどもそんなこと考えている時間はそんなになっかったのも確かだ。

1989年5月7日(日)

              午前中に椅子などを運ぶ作業以外完全な休みだった。天気も良く日陰の方が涼しくて気持ちがいい日だった。

午後は何もなく夕方まで昼寝が出来た。夕食後は酒保に行く事が出来た。夜7時と言ってもまだ陽が高くて暑いので、冷たいビールを喉に流し込んだ時は今までの疲れが抜けていく様だった。タバコや石鹸など必要な物も買う事が出来た。

第4外人連隊に来てこんなにゆっくりと過ごす事が出来たのは初めてであった。

                            読んでくれた人、ありがとう。

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