B043 連隊に戻って その2 普段の生活

ここでの生活は5時半起床、洗面、髭剃り、6時に朝食、6時半に掃除、中隊の掃除当番も回って来る。7時15分に週番伍長の指揮下で中隊の建物の周りを1周してのゴミ拾い、7時半中隊の朝礼であった。ひどい時にはルアール伍長週番伍長の時で、「一歩前進!止まれ!」という感じの時もあった。それが終わると小隊ごとに様々な訓練が始まる。髭剃りと半長靴の磨き具合は毎朝集合前に点検があった。昼の集合時も半長靴は磨かなければならない。外人部隊では、自衛隊のように半長靴の爪先に唾をつけてテカテカになるまで磨くと言うことはしなくても良く、ちゃんと黒の靴墨をつけて綺麗にしていれば何も言われない。ちゃんと磨いているように見せる為に右足の半長靴の爪先を左足の脹ら脛のところで「キュッキュッ」とズボンで磨く技を覚えたのもこの頃だった。

毎週月曜日の朝は連隊朝礼であった。なので時間は少し前倒しになる。初めての連隊朝礼に参加した時は「連隊にはこんなに沢山の兵士がいるのか!」と思うほど練兵場は一杯であった。各中隊が自分たちの並ぶ場所まで外人部隊の隊歌を歌いながら練兵場に入って来る様は壮観であった。

小隊に新しい伍長が来た。ジブチにある「第13準旅団」で2年の勤務を終えてここに配属になったスペイン人のブロン伍長であった。彼は夜の点呼が終わるとまだ廊下で整列している僕らに次の日の予定を発表してくれるのだった。のちに僕も軍曹訓練コースに行く前の準備期間、新兵訓練伍長として新兵を教える事になるのだが、ブロン伍長を見習って同じ様にした事があった。

朝の集合の後は、中隊の建物の一階両端に2つある教室の一つでフランス語の授業だったり無線機の使い方を覚えたりした。また、正式に外人部隊兵となったので、連隊正門の衛兵勤務についても覚えさせられた。ただ勤務に就くだけではない。パレード時に着る外人部隊の正装の準備をしなくてはならない。日中はずっとその正装で勤務、日没には戦闘服に着替えるのだった。衛兵長は軍曹、副長は伍長。その下に6人衛兵がつく。2人ずつ3交代だ。一人は遮断機の操作、もう一人はFA -MASを胸の所に携行し、下士官が通る時は気を付けをし、士官が通る時は捧げ銃をしなければならない。一応外人部隊兵になったとはいえまだ新兵なので、ヘマをしない様に伍長が傍で見ている。

僕が新兵訓練伍長として営門勤務になった時に凄い日があった。衛兵交代は7時ぐらいだったか。その日は凄まじい寒さで、毎朝営倉に入っている連中が営門を水を撒きながらデッキブラシで掃除するのだが、巻いた水が片っ端から凍ってしまうぐらいの寒さで、表に出っぱなしで新兵を監督している僕は死ぬほど寒かった。衛兵詰所の向かいには、連隊総務の建物がありそこには連隊中から恐れられているメキシコ人の厳しくて口うるさい「ペレス・プリア上級曹長」がいた。さすがの彼も今日の寒さは尋常ではないと思ったのか、衛兵全員に普段は全く着る事がない制服用の「オーバー」を着用しろと命令を出した。オーバーは全くと言ってもいい程着ないので、支給されたままで階級章もついていなければボタンもツルツルの何も文字が入っていないままで、「外人部隊」と文字の入ったボタンに付け替える必要があった。僕がいた小隊に連絡が行き用意するのに右往左往しららしい。まず衛兵用の2着が届き、交代の衛兵はまた一から正装のやり直しであった。僕の分はまだ来なくて、届いたのは10時過ぎだった。もう日が昇ってポカポカし出した頃であった。オーバー着用の式典用の服装は誰も見た事がないというので夕方戦闘服に着替える前に記念に写真を撮った。オーバーを着たのはいいが、重くて硬いので、腕が上がらず敬礼が出来ない。散々な日であった。

                            読んでくれた人、ありがとう。

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