1989年2月2日(木)
朝6時に起きる。7時ぐらいにホテルのロビー集合、そして帰りの飛行機に乗るために再びバスでシャルル・ド・ゴール空港へ向かう事になっていた。ここで僕はツアーの人たちと別れる事になる。
皆は日本に帰るのが残念だといった顔をしたり、やっと帰れるという安堵の表情を浮かべたりしている。
何人かの仲良くなった人たちに「僕はフランス滞在が伸びる事になった」とだけ言った。
皆バスに乗り込み始める。バスが出発するまで側に立っていた。「外人部隊」に志願して入隊となったらパスポートや現金、私服は全て没収されるのは本を読んで知っていたから、昨日の夜のうちに不要な服や靴などは整理してホテルの部屋に置いて来た。それでも持って来たバッグは重く感じた。メトロまで行きNation(ナシオン)でRER(郊外急行)に乗り換えて、Fontenay Sous-Bois( フォントネイ・スー・ボア)の駅に降り立った。一昨日「Fort de Nogent」(フォール・ド・ノジョン=ノジョン要塞)までの道筋は調べていたけれど夕方で、今朝は朝が早い事で少し見る景色が違って見えた。朝食はまだだったので、駅からすぐのカフェ兼タバコ屋に入った。店の人は英語が分からなかったのだが何とかクロワッサンとカフェ・オ・レを注文する事が出来た。日本から持って来たタバコがあと2箱しか無くなったのでそこで1カートン買った。財布の残りは200フランになった。入隊出来なかった時の事は考えない様にした。
途中少し迷ったけれど何とかノジョン要塞の門の前まで来た。曇っていて霧が濃く、ひどく寒い。
門の前で立ち止まり、多分ここに志願しに来た者が必ずするであろう事をした。
門の上を見上げたのだ。
「Légion Étrangère」(外人部隊)
そして門を叩いた。大きな頑丈な木製の扉の小窓が開いた。紺色のベレーを被った兵士にフランス語で何か言われたが何を言われているのかさっぱり分からない。また何か言われた。そのフレーズの中に「パスポール!」(パスポート)という単語がどうにか聞き取れたので、ポケットからパスポートを取り出し、それと一緒に昨夜ホテルで辞書を見ながら「外人部隊に志願する」と書いた紙を門の小窓から覗いているガード(警備)の兵士に渡した。紺色のベレーなので、フランス正規軍の兵士だ。のちにわかることになるがここの要塞にはいろんな兵科の連中がいて正規軍の兵士も勤務している。
外国人としての身分証明書であるパスポートを渡してしまったので、もうどうすることも出来ないしどこにも行けない。どれぐらい待っただろうか???そんなに長い時間ではなかった様な気がする。人の出入りに使う少し大きな方の扉が開いた。白いケピを被った上級伍長が出てきて僕に一瞥すると「入れ!」と言った。門を入って左側に待合室がありそこに連れて行かれ、ここで待つ様に言われた。初めて見る本物の外人部隊兵であった。(白いケピ=外人部隊の兵士の白の制帽。一部の上級伍長、下士官、士官は黒。円筒形になっておりフランス軍の他に憲兵隊なども色などは違うが同じ形状のものを使用している。)
待合室の中には既に一人居た。イギリス人だった。彼はここに来たのは2度目だという。前回はAubagne(オバーニュ;南フランス、マルセイユ近郊にある外人部隊の本部、第1外人連隊がある)の体力検査で落とされたという事だ。フランス軍の軍靴を履いていた。ここの待合室は扉ななく。石造りでとても寒かった。
読んでくれた人、ありがとう。